コロナ禍に唄いたい

毎年3月は年度末が期限の仕事で忙しく、今年も「コロナでどうなるかなぁ」なんて言いながらも、例年通り仕事に追われていたところ、3月25日(水)に状況が急転。バイト先での仕事中に都知事の会見が開かれ、不要不急の外出自粛が告げられた。

自粛はひとまずはその週末。しかし、この先いったいいままでと同じペースで働けるのだろうか。

同僚と慌ててスケジュールを組み直し、31日が期限だった仕事を、27日までで切り上げて、暫定的に終わらせることになった。

休業や変更の予定が当面ないクライアントの仕事は、当初予定通り31日まで続いた。

明けて4月。数日は呆然と過ぎた。

事態に気持ちが追いつかなかったし、納期に間に合わせて疲労困憊だった。疲労は免疫力の大敵だから、少しでも早く体力を回復させたかった。請求業務以外は寝まくった。

半月が過ぎ、毎年秋に開催される八重山古典音楽コンクールが今年は中止、という連絡がきた。わたしは今年受験しないのだが、秋のことが早々と決まったことに動揺した。受験予定だった友人とチャットしながら、残念ではあるけれど、自分たちが八重山にウイルスを運ぶのはもってのほかのことだと、なだめあった。

と同時に、コロナ禍を八重山民謡とともに過ごすのは、八重山民謡を知らないままこの事態を迎えるより心強かっただろう、という話になった。

楽器を弾いたり唄ったりしたら気分がすっきりして、心が安らぐ、というのはもちろんだが、なかなか人に会えない状況下で、対話の相手が一人できたようなものだ。唄ができた背景を考えながら唄うだけで、飛ぶように時間が過ぎる。圧政や災害に苦しめられながら八重山民謡が伝えられてきた歴史には、感染症の蔓延のような病魔もあったかもしれない。

そんなわけで、コロナ禍に唄いたく(考えたく・調べたく)なった唄を記しておこうと思う。

・コロナ禍に唄いたい【今回】
・真栄里節〈コロナ禍に唄いたい1〉
・与那覇節〈コロナ禍に唄いたい2〉
・崎山節・崎山ユンタ〈コロナ禍に唄いたい3〉

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