真栄里節〈コロナ禍に唄いたい1〉

石垣島・真栄里の村自慢の唄だ。

真栄里節(まえざとぶすぃ)

1.だんぢゅとぅゆまりる真栄里の村や中村ゆくさでさくば前なし
(あしぶさ踊ゆさ)
まことに評判の高い真栄里村は中村を背に、作場(畑)を前にしている
(楽しく遊び愉快に踊りましょう)

2.たてゆく道ぬ直さある如に心持美らささびやねさみ
(あしぶさ踊ゆさ)
村の縦横の道がまっすぐであるように、心の持ち方も美しく、サビ(災難やわざわい)が少しもない
(楽しく遊び愉快に踊りましょう)

3.あまてぃ働ちゃい年々の貢ゆすに先立ちゅて誇る嬉しや
(あしぶさ踊ゆさ)
よく働いて年々の租税も他村に先駆けて納め、誇りがあって嬉しいことよ
(楽しく遊び愉快に踊りましょう)

4.親子むつましく夫婦立美らさ村中肝するて情ばかり
(あしぶさ踊ゆさ)
親子睦まじく、夫婦仲良く円満にして、村中の人々も一致協力していて純情である
(楽しく遊び愉快に踊りましょう)

5.主ぬ前ぬうかぎいつ世までん村ぬ名ゆ立るしるしあらしたぼり
(あしぶさ踊ゆさ)
村の繁栄はお役人様のおかげです。繁栄がいつまでも続き、名声をあげて、その徴をあらしめてください
(楽しく遊び愉快に踊りましょう)

※上段の太字が歌詞、下段が意味です。
※歌詞の意味は師匠から習ったり、調べたりしたものを合わせて、できるだけこなれた日本語になるようにやや意訳しています。参考程度にご覧ください。

1番の、前に○○があって、後ろに○○があって、という場所紹介の仕方は、八重山では定番のフレーズ。親子仲や夫婦仲で安寧を示すのもよくある表現だ。

真栄里は比較的新しい村で、平得村から1765年に分かれて創建、そのわずか6年後、「明和の大津波」によって村民1,173人中、8割弱の908人が亡くなった。生存者265人と、黒島から強制移住させられた313人によって村が再建されている。

1871年、日本全国の廃藩置県の時点では、清国冊封下の王国として琉球は同列に扱われず、翌年に琉球藩となり、王は藩王として華族になった。1879年、強権的に「琉球処分」が行われ、沖縄県が設置される。
沖縄県になってからも、明治時代にもかかわらず、しばらくは旧制度での統治が続けられた。米などの穀物と織物での上納が義務付けられた人頭税(各個人に対して頭割りに同額に課する税)も1903年に廃止されるまで温存された。

この唄は、真栄里村に着任した、旧制度での最後の役人、真栄里首里大屋子職の宮良当意が作詞作曲したと伝えらえる。着任が1893年なので、唄が作られたのもそのころと考えられる。3番の「貢」は作物で納めていたのであろう。5番だけは明らかに作者が異なり、添句として、村民が役人を讃えて作ったと言われる。

役人を持ち上げる唄は、八重山では非常に多い。5番の歌詞や古い税制、完納を競う様子など八重山民謡の定番が、斬新さを感じさせるメロディーに乗って唄われる。

*  *  *

一つ気になるといえば、村の道が縦横まっすぐ、ということ。創建が新しいので、創建時から碁盤の目のように開墾したのか。明和の大津波後の再建時に整備したのか。そうだとしたら、津波対策としての意味があるのか。現在の地図を見ると、平得のほうが碁盤の目のように整っている。この部分については、今後調べてみたいと思う。

*  *  *

コロナ禍に唄たいと思ったのは、「ささびやねさみ」と「村中肝するて」が心に引っかかたから。

「さびやねさみ(災難やわざわいがない)」は、わたしの流派でも、多くの本でも、2番の歌詞として出てくる。心持ちが美しかったらわざわいがないなんて、じつに観念的・道徳的ではないか。(そういう歌詞は八重山には多いけれど)

一方、多くの本が参考文献として挙げる喜舎場永珣の『八重山民謡誌』では、「情けばかり」と入れ替わっていて、

心持美らさ情ばかり
心の持ち方も美しく、純情である
村中肝するてさびやねさみ
村中の人々も一致協力していて、サビ(災難やわざわい)が少しもない

となる。

どちらがこなれているかといえば、最初に挙げたほうが通りがいいだろう。しかし『八重山民謡誌』バージョンもわからないわけではない。
村人が協力しあえば、津波などの災害の被害を少しでもやわらげる防災体制がとられ、万一のときにも助け合って生き延び、復興も協力しあって早くできるという願いなのではないか。
また、村中が協力して、懸命に仕事に励み、つつがなく税を納めれば、役人からの覚えがよくなり、圧政という人災を少しでも穏やかにやり過ごせると考えているのではないか。

『八重山民謡誌』には誤りが多いと指摘する研究者が多いので、『八重山民謡誌』バージョンは考えなくてもいいのかもしれないが、「村を挙げての協力」と「防災・減災」の関係には空想が膨らむ。

いまこのときに当てはめれば、外出自粛への協力が強固な地域ほど、新型コロナウイルスの感染拡大が防げる、と読めるではないか。それも、補償を求めてお上に意見するようなことなく、ただひたすらに道徳的に心ばえ一つをもって、外出自粛に協力するのであれば……。

*  *  *

ちなみにわたしにとって、この唄はしばしば唄うお気に入りだったということではない。

毎年秋に3流派合同の八重山古典音楽コンクールが開催され、三線、箏、笛、太鼓のあやぱに賞、新人賞、優秀賞、最高賞の各賞合格者が決まる。合格者は授賞式と発表会に臨むのだが、その発表会では各流派が「流派紹介」として1、2曲を披露する。

今年のわたしの所属流派の曲が真栄里節だったのだ。今般の状況を鑑みて、今年はコンクールが中止となり、3月からはレッスンも休止したまま。本来ならいまごろ、コンクール課題曲とともに、真栄里節を積極的に習っていたに違いない。そんな思い入れから久々に唄ってみたら、予想外にぐっと引き込まれてしまった。

【参考文献】
/喜舎場永珣『八重山民謡誌』沖縄タイムス社、1967
/當山善堂編『精選 八重山古典民謡集(二)』當山善堂、2009
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