与那覇節〈コロナ禍に唄いたい2〉

1771年、「明和の大津波」が八重山を襲った。当時の人口の約1/3にあたる9,313人が溺れるなどして亡くなり、全34村のうち8村が流出、7村が半流出したそうだ。疲弊しきった八重山に、7年後の1778(安永7)年、在番役人として与那覇親雲上朝起が首里から派遣された。その善政を讃えて作られたのが「与那覇節」である。

与那覇節(ゆなふぁぶすぃ)

1.与那覇主ぬ御蔭ん 主ぬ前みぶぎん
与那覇主(在番役人)のおかげで、お役人様の恩恵で

2.昔世ば給られ 神ぬ世ば給られ
昔、栄えたような世に恵まれ、神の治世のような幸せを賜った

3.主ぬ前ば仰ぎ 百果報どぅ手ずる
お役人様を仰ぎ奉り、たくさんの幸せを受けられるように合掌しました

※上段の太字が歌詞、下段が意味です。
※歌詞の意味は師匠から習ったり、調べたりしたものを合わせて、できるだけこなれた日本語になるようにやや意訳しています。参考程度にご覧ください。

喜舎場永珣は『八重山民謡誌』で、

在番はまず島民の精神の安定が第一であると考え、島民を説得、説諭して人心を鎮めた。
(中略)
 与那覇在番は、大津波の災害で荒れ果てた八重山に赴任すると、その惨状を痛感されて、復興計画をたてられた。
(中略)
 同在番は安永七年から天明二年まで五カ年間八重山に勤務して、天災で崩壊された八重山の復興に精魂を打ちこみ計画を遂行されて天明二年七月七日首里へ帰庁された。
(中略)
 人頭税の過酷な重税と役人の苛斂誅求に堪え難い人民の中には、自殺、逃走(山中へ)、山中の洞窟へ隠遁し、離散する者が多く、在番はこれに同情して三ヵ年間免税された。この厚恩に感謝してお初米を心から納めたという美談にもとずいて、大浜善繁が、その高徳をたたえて作歌作曲した。

喜舎場永珣『八重山民謡誌』pp.97-98

と記している。
これがこの唄の由来の定説となっていて、當山善堂氏も『精選 八重山古典民謡集(二)』で同様にまとめていた。しかし歴史研究に熱心な読者に指摘されて、のちに与那覇在番の功績について確たる資料はなく、与那覇在番は規定の在任期間である2年で離任した、与那覇在番の功績とされる中には前後の在番役人の功績も含まれている、与那覇在番のみが偶像化された、というような可能性を認めている(『精選 八重山古典民謡集(三)』)。

わたしには史実の確かめようがないが、少なくとも津波の後しばらく(歌詞の通りなら与那覇在番が赴任するまで7年間)、復興計画は立てられず、つまりろくに復興が進まず、かつ人頭税が例年通り徴収されていたのだとしたら、いやはや、悪政が過ぎる。

家や田畑が流されたり、身内が亡くなったりしたのだ。それなのに課税は従来通り(しかも悪評高い重税)と言われたら、島民は遁走するしかない。自殺はなお痛ましい。

翻っていまと重ね合わせると、ちらほらアフターコロナの話は聞こえてきている(来年オリパラが開催できるほど世界が落ち着いているかはともかく)。さすがに7年も放置してから、ということはなさそうだ。

だが、ここまでのこの国の動きを見てると、人民の精神の安定が「第一」なのかな、と疑わざるをえない。
(マスク1世帯2枚の件はむしろ逆撫でされたし、まだ届いてないし、お肉券もいまそれかよという内容・タイミングだったし、定額給付金が決まるプロセスも市民に突き上げられてやっと感あったし、ほかにもいろいろ幻滅してる)

人心を鎮めるための「説得」や「説諭」らしき会見が数回あったけど、内容にイラつき、プロンプターの見過ぎに辟易し、言葉は心に残っていない。

トップがリーダーシップを発揮して、政策をトップダウンでスピーディーに進める、というようなリーダーシップ待望論にわたしはまったく立たないが、トップが人民を大事に思っていなければ、政策がそういう方向に動いていきようがないとは思う。

5月3日に憲法にまつわる話を聞いていて、生存権があってよかった、としみじみ思った。「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」という第25条。19世紀にはなかった、20世紀的な権利だそうだ。なくてはならない、なくしてはならない権利だと、21世紀のいま、ぐっと噛み締めている。

与那覇在番(もしくは前後の在番)もさすがに、「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」までは思い至っていまい。でも、それに近い生活を実現しようとしたのだろう。その手立てとしては、税の免除はあってしかるべきだ。遅過ぎたぐらい。

反対に生存権を獲得しているいま、マスクが届こうと、定額給付金を受け取ろうと、その他仮にもっといい政策が打ち出されて心も体も金銭的にも救われたとしても、そしてそれを推し進めた人を讃える唄が生まれたとしても、わたしは唄わない。

与那覇節の旋律は美しく、唄うのは好きだけれど、唄ができることになった状況が再び起こるのはごめんだ。いまこのときは、生存権を濃厚に胸に抱きながら、「いまこそスピーディーに、善政、カモン!」と願いつつ唄う。

【参考文献】
/喜舎場永珣『八重山民謡誌』沖縄タイムス社、1967
/當山善堂編『精選 八重山古典民謡集(二)』當山善堂、2009
/當山善堂編『精選 八重山古典民謡集(三)』當山善堂、2011
文献はいずれ「読む八重山」でレビューします!

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