『八重山生活誌』

コロナ禍の外出自粛要請期間中に、「7日間ブックカバーチャレンジ」(1日1冊、好きな本のカバーをSNSにあげ、次の人を指名する)がわたしのFacebookのタイムラインでも大流行している。
友達の思考が開陳されるようで面白い。どこか人ごとのように眺めていたのだけれど、去年まで一緒に会社を経営していた元相棒から、次に指名したいと連絡をもらった。このバトンは嬉し恥ずかし、でも達者でコロナ禍を乗り切ろうという元相棒からのエールと連帯を感じ、引き受けることにした。

元相棒は読書家だし、編集者。なんらかテーマを決めて選書するのだろうと思ってたら、フェミ本セレクトだった。それに触発されて、思い浮かんだのが『八重山生活誌』だ。


『八重山生活誌』は702ページの大著で、
第一編:住居
第二編:衣
第三編:食
第四編:人の一生
第五編:年中行事
付録:わらべうた
と、風習を網羅し、しかも索引がついている。

作者の宮城文氏は、石垣島出身。1972年の出版当時81歳だった。
父親が教育熱心で、5人の我が子に高等教育を受けさせた。当時は島には小学校しかなかったので、那覇などに出ないと高等教育は受けられなかった。宮城氏は島で初めて県立第一高女に進学している。卒業後は島で最初の中等学校卒業の女性教員となった。

島で数々の公職につき、1948年には初の女性市議会議員となった。その後、幼稚園の園長を14年務め、72歳で退職。後進に道を譲るためであり、かつ上京して大学生の孫を世話するためでもあった。3年東京で暮らしてから、別の孫を世話するために島に戻る。

本人はまえがきに、

 昭和三十八年から三年間の東京生活中、在京の郷里の方々から八重山の従来の法事のあり方、献立、料理法などについて質問をたびたび受けました。また帰郷しますと私の娘たちから八重山の祝祭日、年中行事のあり方、献立、料理を詳しく書いて形見として遺してくれるようにとの注文もありました。これも筆をとった動機の一つでございます。

『八重山生活誌』p.19

と書いている。

わたしはこの本を、四半世紀前の石垣市立図書館で初めて手にした。学生だった当時、八重山ミンサーの調査のために石垣島に滞在していて、とりいそぎ必要だった第二編「衣」だけをコピーしていた。

八重山民謡を始めてから、あらためてコピーを読み返したところ、記述のあまりの詳しさに驚いた(そして、全体が読みたくなって古書店から入手した)。

とくに第二節「苧布(ブーヌヌ)」が詳しい。苧布は人頭税時代には15歳から50歳の女性に課せられた貢納布であった(男性は穀納)。その種類から税負担の量、単位の説明、生産と検査の体制と細かく書かれている。
どうやったらここまで細かく調べがつくのと、感嘆するばかりだ。

その疑問に答える記述がある。

 このように残酷極る定額人頭税は実に明治三十五年まで二百二十五年間も続いたのであった。つまり筆者より三つ年上の明治二十一年子年生れの姉たちが一か年課税されただけで終ったのである。筆者はバラ算(引用者注:結縄算。長さ、量、重さなどの数を示したり、数の記録として使った、藁を結んだもの。バラ=藁)を持ってまわった経験はあるが課税されるまでにいたらなかったことをしあわせだったと思っている。

『八重山生活誌』p.76

人頭税が終わって税の金納が始まり、戦争へと突き進み、さらにアメリカ世になり、奇しくもこの本が発行された年に沖縄は日本に返還された。短期間に生活が激変し続けた時代を宮城氏はつぶさに見ており、一方の宮城氏の子どもたちの世代には、その前の時代の風習が身近なものでなくなりつつあった。

宮城氏がすでに生き字引のようであるが、不確かなことは古老に尋ねながら、資料を紐解きながら、まとめたようである。

そもそも宮城氏が女性だったから、生活者視点を持っており、激動の時代を生き、八重山以外の土地に暮らした経験があって、八重山の風習の特性を認識しており、書き留めなければ失われることを理解し、調べて執筆するだけの力量があったという、刊行にこぎつけるまでのさまざまな要素を宮城氏が特殊に持ち合わせていたことがわかる。

余談であるが、宮城氏は県立一女を卒業後に帰郷して、登野城校で教師をしていたときに、同僚だった宮城信範さんと結婚した。取り持ったのは同校在職中だった、高名な音楽家・宮良長包(新安里屋ユンタなどの作曲者)。長包は信範さんといとこ、宮城氏の兄の友達であり、その宮城氏の兄は長包の妹と夫婦になっている。

島という限られた空間からたくさんの文化人を輩出していると、八重山文化の奥深さを感じることはしばしばあるが、著名文化人同士(少なくともわたしには2人ともスター級)がこんなに近しい関係だったのだ。

それだけではなかった。わたしの三線の師匠の師匠は、流派の工工四(三線の譜面)を編纂し、流派の節回しを確定した方なのだが、子どものころに宮城氏から学んだ教え子だったようだ。ここでも飛び抜けた文化人が交差している。石垣島すごい。

宮良長包についてはこちらでも触れています。
https://itohen.me/2018/01/11/157/

書誌情報
『八重山生活誌』
著:宮城文
発行:宮城文(1972年11月)
   沖縄タイムス社(1982年3月)
2016年に1972年版を「日本の古本屋」から2,000円で購入

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