ほどほどが肝心-でんさ節

でんさ節[でんさぶすぃ]

上原ウイバルぬでんさ ムカスィからぬでんさ
我心バングクル いざばスィきゆたぼり デンサ

——
玉代勢長傳編『八重山唄声楽譜付工工四全巻』2006年、pp.35-36(初版『八重山唄工工四全巻』1971年)

 見学から8日後、わたしは師匠と向かい合っていた。初めての三線体験レッスンである。三線をお借りして構えてみる。左腕の肘を曲げて棹を左側に、45度傾けるように、右膝の上に太鼓を置く。バチには穴が開いていて、右手の人差し指を突っ込み、親指と中指を添えて固定する。手首に回転を効かせてバチで弦をはじきたくなるところだが、手首を上下に、弦の上から下へと振り下ろすだけで音が鳴る。

 三線の奏法としては、ポップスの歌手がほぼ水平に構えて、ノリよく体を揺らしながら弾いているほうが見慣れていたのだが、師匠の姿勢はびくともしない。ずいぶん堅苦しい所作に見えたのだが、じつはこれが長時間弾き続けても疲れず、見た目にも美しい姿勢とわかるのは少し先のことである。初めのうちは右手が緊張して腱鞘炎になりかけたり、左腕が疲れて棹が下がってきたりとギクシャクが止まらない。

 「本調子」がスタンダードな状態で、三本の弦をド・ファ・ドに合わせる。レ・ミ・ソ・ラ・シと、高いドの上のレ・ミ・ファ・ソ辺りは、弦を指で押さえながら弾いてその音を出す。その指で押す位置を「勘所」と呼ぶ。その名の通りで、正確な音を出すには、練習を繰り返して勘を研ぎ澄まし、体で覚えるしかない。

 と、ドレミで説明してしまったが、三線の楽譜は漢字で書かれた工工四であって、ド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ・シ・ドは、合・乙・老・四・上・中・尺・工(本調子の場合)に当たる。最近になって偶然、ベトナムの人口の9割を占めるキン族の音階も古くは漢字表記で、しかも工工四と同じ漢字が使われていたと知った。どちらも中国の記譜法に影響を受けたことは間違いない。

 楽器といえば小学生の頃にピアノをかじった程度のわたしでも、本当に弾けるようになるのだろうかと、率直に師匠に尋ねてみた。「数回のレッスンで、みんなと一緒に弾けるようになりますよ」と師匠。いやいやいや、そんなうまい話はないでしょう、と怪訝な顔をしてしまったのかもしれない。「大丈夫。誰でもできるようになります」と念を押された。

 そんな初レッスンで習ったのが「でんさ節」だ。「でんさ」は「言い伝え」の意で、教訓歌である。第1句の、これから教訓を伝えるから聞いてください、という歌詞に続いて、家庭円満や、口は災いの元のような内容の教訓が次々と繰り出される。

 初日は弾くのに必死で、唄うのは師匠だけ、2回目で弾きながらつぶやけるようになり、3回目に少しは唄らしくなってきたところで、歌詞の解釈や、教本には6句しか載ってないがほかにも数限りなく歌詞があることを教わった。

 師匠の言う通り3回で特訓を卒業し、通常レッスンに合流してからも、わたしは毎晩練習を欠かさなかった。上達欲のためというよりも、三線の音色が体を通って共鳴するのが心地よく、夜のリラックスタイムにもってこいだったのだ。

 ある日、左の小指の爪の脇にプチッとしたイボができていることに気づいた。すぐに流血する厄介なイボで、傷薬を塗っても治らず、止血のために絆創膏を貼っていると指が滑って三線を弾くのに支障が出る。

 わたしの三線タイムを邪魔するヤツが憎いとばかりに、我が身の一部ながらイボに苛立ち、それにしても2週間経っても治らないどころか悪化することにやや不安を覚えて、整形外科で診てもらったところ、血管拡張性肉芽腫だと判明した。原因はおそらく、勘所に小指をしっかり当てたいがために指先に力を込めすぎて、爪が肉に食い込んだのだろう、とのこと。治療には3週間かかり、老医師は凍結療法の冷たい液体窒素を綿棒で患部に当てながら「そんなに指に力を入れなくても、音は出るんじゃないかなぁ。お師匠さんに聞いてみるといいよ」と笑うのだった。

 でんさ節に、過ぎたるはなお及ばざるが如しのような歌詞があれば、こんなことにならなかったのに。

最新情報をチェックしよう!