さて、その沖縄語初級講座。沖縄のなかでも首里を中心に使われている現代語を学びました。テキストは花薗悟氏著の『初級沖縄語』(研究社、2020年)で、著者が講座の講師でした。
最初の2回ほどは、八重山語との発音の違いに戸惑いました。たとえば「今日[キョー]」。八重山語なら「キュー」ですが、沖縄語では「チュー」。日本語のオーがウーに変わるのは沖縄語も八重山語も同じですが、日本語のキが八重山語でもキなのに沖縄語ではチなんです。
でも、わりとすぐに慣れました。一番の理由は、単語の量だと思います。民謡から八重山語を見ていると、いろいろな情景や物事が謳われているとはいっても、お決まりのフレーズも多いので、単語をたくさん知っているわけではありません。片や日常会話を習おうとしている沖縄語では、普段よく使われる言葉を知ることになります。
八重山語でも知っている単語の沖縄語を習うと、一つひとつ同じ/違うと考えてしまいますが、八重山語では知らない単語の場合、習う時点での引っ掛かりがないので、そういうものとして接することができます。
初級テキストの前半しか学んでいない(しかも3回も休んだ)ので、沖縄語のなんたるかを語ることはできませんが、この初歩段階でも興味深いと思ったことが三つあります。
一つは、日常会話には、日本語と同じ単語が多いことです。
これは、以前に沖縄語についての講演を聞いたときに知ったのですが、今般実感しました。明治以降、海外から数多くの物や概念がもたらされ、それらの翻訳語が日本語に加わりました。沖縄も明治以前には海外と直接の交流があったわけですが、明治以降は日本語経由でそれらの言葉や概念が取り入れられました。そのため、そうした単語については、日本語と(ほぼ)同じです。
「プログラマー(プログラマー)」や「カイシャイン(会社員)」はもちろん、「ダイガクシー(大学生)」「トゥチー(時計)」も音の変化はありますが同じです。
一方、「スムチ(本)」「ユスグニ(外国)」などは違います。つまり違う単語は、明治より前からあった言葉と推測ができます。スムチは書物からきた言葉だそうです。
二つめは、用言に丁寧表現があることに驚きました。
ドラマのタイトルにもなったために、沖縄語のなかではよく知られている単語「チュラサン(美しい)」ですが、「チュラサイビーン(美しいです)」を先に習いました。「ユマビーン(読みます)」「カチャビーン(書きます)」を習ってから、「ユムン(読む)」「カチャン(書く)」を習いました。丁寧表現を先に学ぶ利点があってのテキストの構成だと思うのですが、なんとなく終止形から習うものという思い込みがあったので、むしろ終止形を初めて習ったときに、これまで習っていたのが終止形じゃなかったことに驚きました。
丁寧表現は、ちょっとよそ行きの言い方になるのだと思いますが、同じ単語でもどの表現を使っているかで、話し手と聞き手の関係性が見えてくるのだろうなと想像しています(聞き取れるほど習熟したら、ですが)。
三つめは、目上への敬意が濃いことです。
「私」の単数は「ワー(私、私の)」、複数は「ワッター(私たち、私たちの)」です。「私」から目下を指すなら「ワー ウットゥ(私の弟/妹)」なのに、目上だと「ワッター アヤー(私の母)」になります。他人のことも「タナカサンター ヤー(田中さんの家)」のように複数形になります。
文法だと思うと、暗記すべき項目が増えたと身構えてしまいそうですが、複数形を用いることによって、大勢に慕われている◯◯さん、という雰囲気が出ているのかな思うと、面白く感じます。
沖縄語の勉強が続けられたらいいのですが、毎年秋からは本業が忙しいために、続きの受講は断念しました。いつかリベンジしたいです。