囃子は語りかける-あがろうざ節

あがろうざ節[あがろうざぶすぃ]

あがろうざぬんなかにようヨー ヨーイ
どぅぬすくんなかにようヨー ハリヌクガニ

——
玉代勢長傳編『八重山唄声楽譜付工工四全巻』2006年、pp.122-123(初版『八重山唄工工四全巻』1971年)

 教本には105曲が載っているものの、毎週のレッスンはコンクールの課題曲を重点的に、季節の唄やその日の師匠の気分によって選ばれた曲を織り交ぜながら進むのが常だ。新人賞、優秀賞、最高賞の課題曲がどのように選ばれたのかは知らないが、上達のために必要な要素が過不足なく含まれていると、唄い込むほどに思う。発音が難しいもの、高低差があって声が裏返りそうになるもの、ゆったりしていて息が苦しくなるもの、三線の勘所が難しいもの等々。同じ曲を繰り返し繰り返し練習し、毎週、師匠と合わせて唄っていると、少しずつ上達しているのが実感できる。

 習い初めの頃は、新人賞の課題曲である「鷲ぬ鳥節」「鶴亀節」「鳩間節」「古見ぬ浦節」「安里屋節」「夜雨節」の6曲ばかりをひたすらに弾いて、唄っていた。ついつい他の曲も知りたい欲が出てしまうのだが、師匠によれば、初めのうちこそ課題曲に集中したほうがよく、いろいろな曲に手を出してしまうと課題曲すらマスターできなくなるのだそうだ。

 たしかにいまから振り返ると、初めはまったく弾けないところから弾き方を覚え、不慣れなメロディに馴染み、暗譜し、緊張しても人前で間違えないほどに練習を重ねなければならないのだから、新人賞のハードルは高い。毎晩、2時間の練習を日課としていたけれど、6曲の暗譜には5ヶ月かかった。

 「あがろうざ節」はそんな早々に習い、課題曲以外で練習することを師匠に許された曲だ。許された、とは大袈裟だが、習った日からわたしが熱中してしまうことを師匠には見透かされていて、次の週のレッスン時に「もう暗譜しちゃったんじゃないの」とニヤリと笑われた。おっしゃる通り、課題曲はなかなか頭に入らないのに、これはするすると暗譜できてしまったのだ。課題曲そっちのけで他の曲にうつつを抜かすという、初心者がやってはいけないことの代表格をしでかしたわけだが、師匠もこの曲だけはお目こぼししてくれたようだ。

 子守唄である「あがろうざ節」はゆったりとしたメロディで、第2句以降には少女たちが赤ちゃんをお守りする様子や、赤ちゃんをあやす心持ちを描写した優しい歌詞が続く。教本の歌詞の欄には、1句ごとに歌詞が変化するところが書かれていて、歌詞の真ん中に挟まる「ヨーイ」や最後につく「ハリヌクガニ」は省略されている。第2句にも第3句にも、同じカタカナがつくのだから省略されても無理もないのだろうが、ここがいかにも赤ちゃんへの語り口のようで、つまりこの唄の妙味が表れている箇所だと思えてしかたなく、省略という扱いが解せなかった。

 「でんさ節」にはなかったが、「鷲ぬ鳥節」にもカタカナ部分はあり、しかも唄の約半分を占め、「バスィヌトゥルィヨーニガユナバスィ」とタイトルまで含まれている。サビはこっちなのでは、とさえ思う。だけれど教本では省略扱いだ。カタカナ部分、肩身が狭すぎやしないか。

 さっさと結論を言うと、カタカナ部分は囃子なのだ。でも、なかなかすっと理解ができなかった。囃子について、わたしの知識が甚だ少なかったからである。知っていた囃子といえば、落語の出囃子の音色や、呼びかけのような合いの手、もしくは唯一知っていた民謡である「こきりこ節」の「マドのサンサはデデレコデン ハレのサンサもデデレコデン」ぐらいだった。「こきりこ節」の囃子は特に意味があるものではないと、小学校の音楽の授業で習ったような朧げな記憶があるのだが、八重山民謡では時として意味を持つのかもしれないと予想した。

 だから、「クガニは黄金です。ハリヌクガニは、黄金のように大事な子、のような感じですね」という師匠の解釈を聞いたときには、ほらやっぱりね、ここのメロディは愛が漏れているものね、と納得したものだ。

 教本には第6句までの歌詞が載っていて、それに続く第7句はメモ書きしている。

墨書すんか上手じょうずなりりよ 筆取ふでぃとぅり上手なり給りよ

「あがろうざ節」

 筆達者になってくださいよ、の意だという。わたしが編集業であり、入門する1年半前に父を亡くしたばかりだと知った師匠が「お父さんはこの歌詞のように願いながら、育ててくれたのではないかと思いますよ」と教えてくれた。

 いやいやこの唄は、子守の少女たちが唄うものだから。仮に筆達者になれたとしても、この当時は男だけでしょ。なんて四角四面に考えてはいけない。シーサーのような面がまえだった父も、こんな風にわたしをあやしてくれていたに違いない。父の願ったように成長しただろうか、父はこんなときに何を思うだろうかと、いつしか三線を弾くと父と話ができるような気持ちになり、三線に支えられて悲しみを乗り越えたように思う。

 八重山民謡は、字義通りばかりでなく、唄う人の心の求めに応じて、時には拡大解釈しながら唄っていいはずだ。

 まもなく迎えた父の三回忌に、わたしは、父のために、鎮魂歌として、覚えたての「あがろうざ節」を唄った。

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