中津川三線ライブツアー DAY3

平和を願う最終回

3日めの8月31日は、その日が最終日だった「第36回中津川平和美術展」のフィナーレを飾るイベントとして、八重山唄を唄いました。

公演のタイトルは「ユバナウレ – 世ば稔れ」。「ユバナウレ」は八重山民謡の歌詞によく出てくるフレーズの一つですが、一説には、五穀豊穣で世の中が良くなることを願う意味があります。

選曲に込めた思い

  • 新安里屋ユンタ
  • 安里屋ユンタ
  • つぃんだら節・久場山越路節
  • 真南風乙節・真南風乙節トースィ
  • しょんかね節
  • 夜雨節
  • 弥勒節

この日は、前日大合唱だった「新安里屋ユンタ」から開幕しました。前日までは「新」とは言っていませんでしたが、良く知られている曲調・歌詞のものは、新民謡ブームのなかで改作されたもので、元歌となる「安里屋ユンタ」があります。

もとの「安里屋ユンタ」は、役人に見染められた竹富島の女性が、一緒になりたい地元の男性がいることを理由に求愛を断った意味であること、役人の命令が絶対であった時代に断るのは勇気のいる行為であったこと、そこから後に抵抗の意味を込めて唄われるようになったことをお話しました。

「つぃんだら節」「久場山越路節」は、黒島生まれの女性が、琉球王府の命令によって、恋仲だった男性と引き裂かれて、石垣島に移住させられたエピソードが主題になっています。「道分け」という方法による強制移住が、東日本大震災での避難区域を思い出させると、大月さんが話したのちに、2曲を唄いました。

親を早くに亡くした子どもの、児童労働が詠い込まれた「真南風乙節」は、初日(8月29日)にも唄いましたが、戦争によって頼るべき大人を亡くした子がたくさんいた時代に思いをはせようと選曲しました。

「しょんかね節」は、ツアーの全日で披露しました。唄の間に返しを入れることにより、2人で唄うからこその演出ができる面もありますが、唄に「情け」を込める八重山らしさがよく表れた曲であることも大きな理由です。

「しょんかね節」は、琉球王府から与那国島に派遣された役人が任期を終えて、現地で迎えた妾(賄女)と別れる場面を描いています。別れの盃に涙がこぼれて飲み干すことができないという1番をわたしが、(荒海で知られているけれど)海が池のように穏やかなので心安らかに渡っていってくださいという願いを込めた2番を大月さんが唄いました。

戦時中、この唄や万歳三唱が響くなか、出征する兵士を乗せた船が海へと漕ぎ出て行ったのだそうです(米城惠『よみがえるドゥナン 写真が語る与那国の歴史』南山舎、2015年、p.87)。役人は賄女のもとに二度と帰ってくることはありませんが、大切な人を戦地に送り出した人たちは、無事の航行を、そして無事の帰還をどんなにか願ったことでしょう。

「夜雨節」は五穀豊穣を謳いあげ、穀物の実りを歓び、税を収めたあとにまだたくさんの穀物があることを喜び、酒を仕込めたことを寿ぎます。お囃子に「ユバナウレ」が出てきます。夜に降る雨が実りをもたらし、世を直すことを願っているのです。

染色のゲルニカを背景に

平和美術展には絵画や写真、書、陶芸などさまざまな作品が出展されていました。公演会場には、布を染色して、ピカソの「ゲルニカ」を再現した大きな作品が掲げられていました。壁一面を覆うほどの大作ですから、多くの人が、膨大な時間をかけて作ったことは間違いありません。染色愛好家の方々の染めで平和を表現する手と、苦難の歴史を唄に託してきた八重山の民の手に、背中を押されて唄うことができたのだと思います。

中津川三線ライブツアー DAY1
中津川三線ライブツアー DAY2
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