『琉球の伝承文化を歩く4 八重山・石垣島の伝説・昔話(二)登野城・大川・石垣・新川』

登野城、大川、石垣、新川は四箇字と呼ばれ、簡単に言ってしまえば石垣島の集落の発祥地だ。わたしが習っている八重山民謡は字石垣で伝えられてきたもののため、民謡のための勉強になったらいいな、という安易な理由で本書を手に取った。

この手の民話は、読む端から抜けてしまうタチなのだが、知りたいとき読みたいときには是が非でもほしくなるものなので、聞き取りをして、文字起こしをして、分析をして、本に残してくださった方々には頭が下がる。

聞き取りは主に1974年、1975年に行われ、さらに20年後に補足調査があったとのこと。最初の調査では石垣市の教育委員会と地元の研究者に協力を呼びかけたとあり、話者には八重山では著名な郷土史家である牧野清氏や、『崎山節のふるさと 西表島の歌と昔話』の語り部であり、崎山村から登野城に移住した川平永美氏もいる。

調査はまず、方言で(八重山でいうなら島言葉スィマムニで)語ってもらい、その後、共通語で話してもらったのだという。方言での報告書の作成が目的だったからだ。本書はおそらくその目的に先立って、共通語でまとめられたもので、43篇中、41篇は共通語で、2篇が対訳付きで掲載されている。さらにそれぞれの話に解説が附され、解説には本土や沖縄の他の地域での伝承の仕方との比較も試みられている。


わたしなりに面白かった2点を挙げておきたい。

一つは、共通語での語りをまとめたことによる副次的な魅力だ。そもそもスィマムニでは(少なくともわたしは)理解ができないので、貴重な伝承を共通語でまとめてもらったのはありがたい。方言から共通語に訳したのではなく、話者の共通語の口調がそのまま書き起こされているのが、また味わい深いのだ。

今頃、蝉がよく鳴くよね。この蝉はカーチ(夏至)の季節にね、六月二十日前後によく鳴くよ。そして男蝉は鳴かないが、女蝉が鳴くよ。どうして男蝉は鳴かないかという話をしようね。

p.106、25女の福分(二)雄蝉が鳴かぬ理由

昔、非常に偉い人がおって、親の孝は何よりも宝だと言って、これを子孫代々、子供が生まれたならば、親に孝を尽くすのは第一であると、言葉じゃなくして、何か、物で表して伝えていきたいと思っていたらしい。親の恩というものは、山よりも高く、海よりも深いと言われておるが、これを何とかして、形に表したいと、この人は始終思っておったそうだ。

p.110、26饗立の由来

読んでいると、島の人のイントネーションが思い浮かぶ。共通語ではあるが、わたしとは違う言い回し、語尾。石垣島に行っても、民謡そのものや、催しの挨拶のときぐらいしか、実際にはスィマムニを聞く機会はない。島の人たちが使う共通語は、わたしからすると、スィマムニに近いところにある話し方であり、この話し方からも地域性を感じるのである。もしかするとこの話し方も、いずれ形を変え、平均的な(東京風の、というか)共通語になってしまうのかもしれないと思うと、この時代の石垣島の姿として、この語りが残されたことは貴重だと思う。


もう一つは、「民話」の概念を捉え直す機会になったことだ。猿の話がいくつも出てくるのだが、八重山には野生の猿はいない。こうした話は、本土から移入されたものと解説にある。

女性の語り手には、明治生まれながら、学校教育を受けていた人が少なくないそうだ。沖縄本島から来た先生は学校でさかんに昔話を語っていたのだという。その先生たちが、本土の昔話を伝え、それが石垣島でも語り継がれることになったのだろう。

つまり本書は、八重山土着の民話だけをピックアップするのでなく、1970年代に伝えられている話を分け隔てなく掲載しているのだ。物語の伝播をたどるという観点でまとめられているわけでもない。どの話も並列であり、解説の分析を見て、由来がわかるのである。この時代のあるがままを切り取ったという意味では、先の独特の共通語の魅力と共通するものがある。

そして、明治大正の学校の先生が子どもたちに日本の昔話を語って聞かせたのは、時代から想像するに、「標準語励行運動」の現れの一つと思われる。面白い・教訓的な物語が海を越えて伝播したという牧歌的なことではなく、苦々しい歴史の産物なのだ。そうした本土由来の物語が、本土から来た調査者に向けて、石垣島の話として語られている。やるせない気持ちになりつつも、近現代らしい伝播と再帰のあり方だと感じられる。


さて、八重山民謡の勉強になったかというと、具体的にピンときたことがあったわけではないが、じわりと思い知らされたところはある。民謡の歌詞というのは、そもそも物語を端折って場面場面が紡がれているわけだが、その展開がスッと浸みるようにわかるばかりではない。それに近い経験が本書にもあった。

31番めの「十五夜の由来」を例にしよう。物語は次のように展開する。

  • 2人の男が十五夜の月夜に夕涼みをすると、1人の影が映らなかった。
  • 影が映らなかった男が物知りに相談したら、一番可愛いものを弓で射るように言われた。
  • 愛馬を狙ったがかわいそうなので、妻を射ることにした。
  • 矢は妻の後ろにあった衣装箱に当たり、箱の中に隠れていた妻の間男に命中。
  • 以来、十五夜は名月であり、人の心を照らす月だとわかって、餅を飾って家内安全を拝むようになった。

十五夜の風習の始まりを伝える話であり、解説によると八重山で人気の昔話らしい。

が。影が映らなかった前振りはどうなったのだろう。愛馬ではかわいそうで妻を射ろうとは、どんな夫婦なのか(妻を可愛いとは思っているみたいだけど)。間男を退治して、妻はお咎めなしってことなのか。餅はどこからきたのか。などなど、わたしには話が飛び飛びで、語りと解説からは、いくら想像力をかきたてても埋めることができない。

八重山の人に詳細を聞いたら、埋められるのだろうか。あるいはこの話は十分に形を成していて、わたしの‘論理性’の枠を超えているということなのだろうか。


ちなみに『琉球の伝承文化を歩く』シリーズは、本書が2017年に発行される前に、1999年に『-1 八重山・石垣島の伝説・昔話 大浜・宮良・白保』が、2003年に『-2西表島・黒島・波照間島の伝説・昔話』が、2006年に『-3 喜界島の伝説・昔話』が刊行され、5巻以降は未刊のようである。
https://www.miyaishoten.co.jp/main/003/3-12.htm

書誌情報
『琉球の伝承文化を歩く4 八重山・石垣島の伝説・昔話(二)登野城・大川・石垣・新川』
編著:福田晃、山里純一、藤井佐美、石垣繁、石垣博孝
発行:三弥井書店(2017年9月)
2000円+税(2018年に石垣島の山田書店で購入)

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