アサパナ会第1回発表会「快翔」に出演しました

八重山古典音楽安室流保存会に2025年2月、女性部会の「アサパナ会」が発足しました。そこから11カ月、実行委員のみなさんが中心となって準備を重ね、2026年1月24日(土)に第1回発表会「快翔」が開催されました。約50名が出演する賑やかな舞台で、わたしは三線と箏と唄で出演をしました。

出演した演目

  • 赤馬節・しゅうら節(三線斉唱の箏伴奏
  • 高那節(三線斉唱の箏伴奏)
  • 八重山育ち(箏斉唱、しょんかね節パートの箏独唱)
  • 冨崎野ぬ牛なーまユンタ・トースィ(歌)
  • 松金ユンタ・山原ユンタ・コイナユンタ・多良間ユンタ(歌)
  • まみどーま(舞踊の三線地謡)
  • クイチャー(踊りの三線地謡)
  • 鷲ユンタ(歌)・鷲ぬ鳥節(三線斉唱)

三線早弾きの練習

昨年9月上旬には出演演目が決まっていたものの、折しも八重山はコンクールシーズン。思うように練習の時間がつくれないなかで、10月のコンクール本番と、11月末のコンクール合格者による発表会で石垣島に行くときが合わせ稽古のチャンスでもあり、少ない機会にしっかり感触をつかめるように、自主練習に励みました。

「まみどーま」「クイチャー」の地謡を一緒に務めた方々のなかの2人は、箏の先輩方で、10月に石垣島で、手合わせをしていただきました。この2曲はテンポが速く、わたしはこの時点では、三線を弾くので手一杯で、工工四の脇に歌詞が書かれた1番はなんとか歌えるものの、2番以降はお手上げでした。スパルタ方式に、もう1回、もう1回、と何度も手合わせをしているうちに、ポイントをつかめるようになりました。鍛えてくださった先輩方には感謝しきりです。

手合わせの甲斐があって、11月と12月に東京で行われた合わせ稽古では、踊りのみなさんの練習を邪魔しないぐらいには演奏することができるようになっていました。

そこから本番まで、来る日も来る日も練習しました。一人だとどこかで弾き外してしまったり、歌詞が飛んでしまったり、仕上げることができないもどかしさがありましたが、本番では地謡のほかの方々や踊りのエネルギーを浴びていたからでしょうか、不思議なぐらいとちらずに演奏できました。
(翌日の新聞にクイチャーの写真が載りました。舞台で演奏している左から2番目がわたしです)

初めての箏斉唱

箏のお稽古中に、ほかの人と声を揃えて唄うことはこれまでもありましたが、今回、舞台で、箏での斉唱を初体験しました。5人の奏者による箏の音色と女声が共鳴して、とても心地よい演目でした。

「八重山育ち」は、八重山の島々に伝わる民謡を題材に取った漫遊記のような唄です。唄の途中に、「しょんかね節」「とぅばらーま」「小浜節」の3曲の元唄のメロディーが織り込まれており、元唄パートは独奏・独唱です。わたしは「しょんかね節」を担当しました。

普段、わたしが「しょんかね節」を唄うときよりも1つ高いキーで演奏していたため、高音の声がちゃんと出るのか、また、「しょんかね節」の箏の弾き手はやや難しいこともあり、一人で間違わずに弾けるのか、演奏直前にドッと不安が押し寄せてきました。無我夢中でやり切りました。「しょんかね節」が終わって、5人での斉唱パートに戻ってきたときに一瞬気が抜けましたが、数拍で緊張を取り戻して、その後は心地よさを味わいながら演奏することができました。

まだ新人賞をとったばかりの生徒さんも、「八重山育ち」に出演しました。速くて難しい曲でしたが、果敢に挑んで、立派に演奏をしているのを見て、指導者として感動を覚えました。

大人数でのユンタ

そんなバタバタと慌ただしいなかで、2演目に出演しました。

労働しながら掛け合いで唄ったと伝えられるユンタは、舞台では多くの場合、男声と女声に分かれて唄います。今回わたしは、普段なら男性が唄う歌詞のパートを担当しました。そのため、歌詞がなかなか頭に入らなかったのですが、三線の師匠がレッスンにユンタを取り入れてくださり、毎週唄っているうちに無理なく暗記することができました。

女声だけの掛け合いは、わきあいあいとした雰囲気でした。「冨崎野ぬ牛なーまユンタ・トースィ」「松金ユンタ」「鷲ユンタ」には三線伴奏が入らず、大人数のアカペラが響き渡り、とても幻想的でした。

運営の和やかさ

初めての発表会で、実行委員として取りまとめをしてくださった方々には、ほんとうにたくさんのご苦労があったと思います。LINEグループでのこまめな連絡や、気遣いにあふれた内容には、初めてとは思えない温かさがありました。

仕事がハイシーズンに入る時期に、難しい演目にも当たっていて不安もありましたが、気持ちよく舞台に臨み、気持ちよく終えることができました。この温かさに支えられていたおかげだと思います。

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