法政大学で講義を行いました

3月のとある日、大学時代の恩師からメールがありました。法政大学沖縄文化研究所が毎年2回行っている「沖縄を考える」という連続講座の7月5日の回に、実演で登壇して、というお話でした。

その講座は一般受講者も受け付けていて、わたしも以前に数回行ったことがあり、実演の回では名だたる演奏家が出演したこともある、東京の沖縄通にはよく知られた講座です。恩師がお声がけくださったことがありがたく、しかしわたしだけで務まる場ではないことは明らかなため、三線の平良広治師匠にご相談したところ、平良師匠と、笛の篠原由桂さんと3人で出演できることになりました。

冒頭25分の講話は、わたしが担当しました。もともと「唄三線」の解説がお題になっていましたので、唄三線の分布の説明から入り、「人頭税」「賄い女」「強制移住」の3つのキーワードから、八重山唄が作られた琉球王国時代を説明しました。また、今日の八重山民謡の状況について「八重山在住者以外の人の増加」「ジェンダーレス化」「記憶の伝承」「伝承の記録化」という観点からお話しました。

約60分間の実演は、平良師匠がMCで講話を補足しながら進みました。当日ご披露したのは以下の11演目です。

  • ユンタしょうら
  • 猫ユンタ
  • つぃんだら節・久場山越路節
  • 仲筋ぬヌベーマ節
  • 鳩間節(古典/早弾)
  • あがろうざ節
  • 前ぬ渡節
  • 越ひへ節
  • とぅばらーま
  • 汗水節
  • ゆらてぃく美ら八重山

「仲筋ぬヌベーマ節」はわたしが唄三線で独唱をしました。講話で賄い女に触れたために、平良師匠がぜひにとわたしに選んでくださった曲です。

平良師匠との掛け合いを単独で務めるのは初めてでしたし(「ユンタしょうら」「猫ユンタ」)、なかでも「とぅばらーま」の返しはそもそも初めてでしたし、これだけの時間をたった3人のうちの1人として舞台に出続けるとは、後にも先にもないかもしれません。

100名を超える学生や一般の方々、なかにはお教室仲間や同じ流派の諸先輩方もいらっしゃり、緊張しどおしでした。もう少し熟達してからこの機会に巡り合いたかった、と思わなくもないですが、たいへん挑みがいのある、たくさんの学びを得た一日でした。法政大学の方々、お教室の先輩方に、さまざまな形でお世話になりました。感謝申し上げます。


*2024年10月5日追記

闘病されていた大学時代の恩師、中俣均先生が一昨日亡くなりました。地理学者で、離島研究・沖縄研究者でした。この記事の冒頭のメールが、中俣先生から直接いただいた最後のメッセージでした。

わたしの八重山初上陸は1999年、中俣先生の巡検の授業でした。沖縄研究に進んだゼミ生が多くはなかったからか、わたしが八重山をフィールドに決めた時分、さまざまな面で応援していただきました。学術研究から足が遠のいた後に、再び音楽を通じて八重山に戻ってきたことも、ことのほか喜んでくださいました。

昨年のお年賀状に、中俣先生からこのうえない一文が綴られていました。心が折れそうになるたびに思い出していたのですが、今日改めて読み返しました。

御自身の道を邁進されていること、私の誇りでもあります。

これからも精進し続けます。中俣先生、安らかにお休みください。

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